2014年5月27日火曜日

病気が人を育てる


患者としての気持ちも、
看病する側の気持ちも、
両方教わった今、
私に出来る事を探す日々。



病気は人を育てるんですね、

母の病名を告げられたあの日から、
私達家族は、一緒に少しずつ成長しているんだと思います。

立ち向かうしかないから。
どんなに悲しんだって、人間やっぱり、後ろに進むようには出来ていないから。

(「諦めたら、そこで試合終了ですよ、」by名監督  ←ご存知?笑)



あの日の夜、
未来を覚悟させられたあの夜、

父と、姉と、私の三人で、

「エイエイオーーーッ!!!」って、

手を握り合ったんだった。


「絶対助けるぞー!!!」って、試合前の気合入れ。笑


祖母には言っていません。
言えません、^^; 倒れちゃう、。





過酷で吐きそうですが、
毎日、音を立てて絶賛成長中。

病は体を弱らすけれど、人を、心を、確実に強くします。




2014年5月26日月曜日

必死のハンドパワー 笑

ハンドパワーって、
実際にあるのかもしれない。。



ド素人が施す指圧で、
少しは楽になるようなのです。

もちろんこれは技術じゃない、
きっと「愛」だね、「愛」。
(なんか昔そんなCMありましたね。。笑)



冷え性だった私の手も、
今は嘘のように温かく、
当てているだけでも気持ちが良いみたい。^^



癌が膵頭部にあるせいか、
背中を押すと右側の方が硬く、
じっくり押していくと盛り上がっている箇所が分かります。

それをゆっくり押してみると、
最初は「よくわからへんわ、笑」と言っていた母も、

「そこそこ、痛い、うんうん、」と反応してくれるようになり、
何となくですが、教えて頂いた経絡(ツボ)が絞れてきているのかしら、?



お願い、悪いもの全部出して!



そしたら、便まで○ッサリ・・・
(ほんまに効いてる・・・笑)



宿便を出すのが一番の排毒!がんばれ!母の体!!!





私が愛用している布ナプキン専門店のKotoriWorksさんにも、
いつも相談させて頂いています。
心強いプロの方々に甘えまくっております。
本当にありがとうございます。




Charm、なりふり構わず、ただいま必死です。


できれば私の両手に、
先生が降りてきて欲しい、。笑
あのゴッドハンドに助けていただきたい、。
(現在、残念ながら予約が入れられない状態なのです、。)




どうか、、娘のハンドパワー強化を!




2014年5月25日日曜日

ステント処置後に気をつける事(黄疸チェックも忘れずに)

最近は、浴層が寝室代わりになりつつあります。^^;


夜は、母がしんどそうに溜息をつくと不安になります。
なかなか眠れず、辛そうに寝返りをうつ度に目が覚めます。


今すぐに新居と実家の家事を両立させるのは
やっぱり難しく、、
頭を休める時間がなくて、
唯一、半身浴中に眠れるのです。(しかも結構グッスリ。。^o^;)

冷えとりしながら熟睡!一番良いんじゃない??
ナーンテ。笑

でも、お陰で体がなんとかもってくれているのかもしれません。
ありがとね、私の体。 パワーチャージはお風呂場でしっかりお願いね、。





退院後の母は、しんどそうではありますが
それでも入院中よりは元気で、
虎のような鼾に悩まされる事もないし(爆)、
我が家というのは自由で落ち着くもの。^^

少し調子が良いと、よく喋りますし、テレビを観ながらみんなで笑います。

先日の主治医の言葉は夢だったの??と思うくらい、
これまでと何ら変わらない時間。

唯一、痛々しい身体だけが、私達家族を現実に引き戻します。




退院後は1日3回、体温を計測。

胆管に通しているステントは外れやすいゴムチューブタイプなので、
外れると腹痛や高熱が出るのだとか、、。
(そんな説明で、よく退院許可を出したもんだよ、先生。。
家族は不安で仕方がありません。
あぁ、そうですね、“残り”を配慮して下さってるんでしたね。)


冷えとりをしている事もあってか、
母の体温はだいたい36.7度くらいをキープ。
うんうん、バッチリです♪


痛みの確認はそれとなく、食後のタイミングに聞き出して、
黄疸もチェック。顔色、白目の色、身体全体の肌色。

何か異変があればすぐに連れて行かなくちゃ。



不調がめんげんである事も考えられるので、
何か変わった事があれば、メモメモ。
841さんにもご相談させて頂いています。^^)
便の回数や状態もチェック。



ほらね、
うるさいド素人ナースの姿が見えてきたでしょう?笑



冷えとりで癌は消えると信じる事

本当はね、不安でした。

母が冷えとりを嫌がらずやってくれるかどうか。



めんげんが出てしんどくなったら止めちゃうんじゃないか、って。



信念を持って、痛みや不調に打ち勝つ事って、
誰にでもできる事ではないから。





余命1年と宣告された卵巣癌の方が、
毎日24時間(睡眠以外)半身浴をし続けて、
冷えとり半身浴の仕方はこちら
切り裂かれるような激痛(めんげん)に耐え抜いた結果、
癌が消えたという、伝説のような(笑)実例を、
私は冷えとりを始めてからこれまで、ずっと励みにしてきました。

でもそれを、母にも同じように強いるなんて出来ない。

素直に続けてくれている母なら、
めんげんも軽く済むかもしれませんが、
進行している癌の毒出しが簡単だとは思えないから。。



少しでも楽に出せるように、
母の気力を奪わないように、
祈り、叫ぶ日々です。


毎晩、写真の祖父達へお願いしています。

「今日も護ってくれてありがとう。^^
明日もしっかり毒出しできますように。
お母さんの気力が保てるよう、力をください。

どうかまだ、連れて行かないでね、」





排毒力を高めてくれる毒出し帯で、
出来る事なら24時間、母の体を摩っていたい。

外出中も、千手観音様の如く、摩る手を置いて行きたいくらいです。笑





母の前に、私が信じなくちゃ。

冷えとりを毎日しっかりやれば、必ず体は変わっていくと。
必ず体は応えてくれると。

自ら諦める体なんて存在しないという事を。




2014年5月22日木曜日

退院後の冷えとりスケジュール

退院後はもちろん、「冷えとり」フルコース。笑


初日は少しだけでしたが、
今では、足湯は毎日平均 計10時間。
(ほんとは24時間入って欲しいですけどね。笑)


何も言わなくても、朝起きてすぐに入ってくれますし、
食事中も浸かるのが当たり前になってきました。

足湯は、楽に続けられる点が本当に有難いですよね♪

だって、浸かっているだけで良いんですもん、
こんなに簡単な事はありません。^^



痩せた体で椅子に座り続けるのがしんどいので、
無理のない範囲で、靴下を履き直して少し横になったり、を繰り返しています。

冷えとり靴下も、毒出し力の強い正活絹を取り入れた計12枚。

足が暑いと言って2足履きが限界だったのが嘘のよう~
(足がほてるのも、冷えている証拠だそうです。)


入院中は履く動作もしんどかったようですが、
今ではほぼ、自分でせっせと履いてくれます。
(替えをセッティングして、強制的に前に置いておくのは誰でもない、この私。笑)


先生に太鼓判を押してもらった指圧も、
自信はないですが母にも押してみてます。
(先生にお会いしたいよ~~、、)
押すと少し楽になるようなので、毎度、念を入れながら押し続けています。


毒出し帯は、
テレビを観ている間や、洗濯機を回している合間に、
マメに摩り摩り。
終わったらチャッチャとお腹に巻いてくれますし、
本当、母が素直な人で助かります~笑笑





母が隣で寝ている。

ホッとします、。



両親の夫婦茶碗もお箸も、
いつも使っていた物を今まで通り揃えて食卓へ出せる幸せ。

一緒にテレビを観られること、
一緒にご飯を食べられること、
一緒に話ができること、笑い合えること、
一緒に眠れること、

「ただいま」と言えば、母の「おかえり」が返ってくること。

全てが有難過ぎて、感謝で熱出そうです。笑






2014年5月21日水曜日

退院祝いは「おはぎ」笑

入院8日目にして、退院。


ゴム製のステントは抜けやすいと聞いていたし、
ホントに退院して大丈夫、?と心配になりましたが、

そうか、、
主治医は“残りの人生”を気遣って下さってるんですね、。




でも、退院は有難い!

帰って来たらこっちのもん!

冷えとりも気兼ねなく出来るもんね!笑



一日でも早く連れて帰りたかったから。

病院なら常に状態を見てもらえて安心ですが、
何の治療もせず入院させるなんて、
良くなるものも良くならないもの。


余命は数ヶ月と言われて、

数ヶ月もありゃ十分冷えとりできる!!!と思った私は
やっぱり頭がおかしいんでしょうか、。爆

それとも、見えない何か(どなたか 笑)が、
私を恐怖から守ってくれてるんかしら、??






まずは病院を出た母の第一声。

「おはぎが食べたい」爆


えーっ!!笑


いや、まぁ、、嬉しいよ、そういうの、実に母らしくて。笑


油っこいものは摂らないで、という主治医の注意を守って、
少しくらいは、いいよね、と。^^;


地元のお気に入り和菓子屋さんに立ち寄り、
ご希望通りのおはぎを購入♪


「よく噛むんよ、少しずつやで、ちょっと食べるん早くない?」

横からピーピー、まぁウルサイ娘でございます。汗

「我が家のナースは厳しいな、笑」と言われる始末。。^o^;



嬉しいんですよ、
食欲がある事。

これってとても大事なパワーでしょう?



でも、ゆっくりとは言え、2個は食べすぎやと思うわ・・・お母さん、。。汗





毒出し帯で冷えとり促進!

入院中、足湯と冷えとり靴下に加えて、

出ました!

じゃーん!

毒出し帯(どくだしたい)。

そう、毒出し隊。笑



冷えとりーゼの必需品です。





これは母の不調が目立ってきた頃から使っていました。

毒出し帯は、毒出し力の強い、静岡の清肌布(しょうきふ)と、綿で出来た帯です。
きついめんげんを和らげて、毒出ししやすい体にしてくれるそうで、
摩ったり巻いたり当てたり、使い方は色々。^^


実は、めんげんがキツくて勤務に支障が出ては困ると、
冷えとりを一時中断していた母ですが、ここへきて本気の再開。^^;
(冷えとりとは?めんげんとは?という方へ、
 「Charmのサイコロ」Charmの冷えとり記事はこちらです。)


進藤先生の指示通り、顎から摩って、
背中は私が担当。

母が横になっていても摩ってあげられるし、
長い時は2時間くらい摩り続けたでしょうか。

やっぱり少し楽になるようで、
「背中やろか♪」と声を掛ければ素直に背中を出してくれます。笑



念を込めて。

出ろ出ろ出ろ出ろ・・・・
でろでろでろでろでろ・・・・
絶対出る出る出る出る・・・・(怪しい。笑)






入院5日目には、朝食のパンがほんのり甘く美味しかったようで、
久し振りに“食べるの大好き母ちゃん”の顔が見られました。笑


この時、黄疸のビリルビン値は、「2」に。

最初の「9」からグンと下がって、夕食から点滴も外してみることに。




ちょっとした事もオーバーに喜んで見せる。
母の気力を、少しでも持ち上げたくて、
冗談もてんこ盛り。笑いのあるネタは2倍以上笑ってみせる。

母の笑顔を見たらホッとします。
母の溜息を聞いたら苦しくなります。

母に寄り添い、母と一緒に生きる、
貴重で有難い毎日です。





2014年5月19日月曜日

冷えとりで膵臓癌が見付かった??

まだ、一度も泣いていません。


主治医からの恐ろしい言葉を耳にした時も、
不思議と私は泣かなかった。

泣きたい気持ちよりも、
“大丈夫。絶対に助けてみせる!”という覚悟と決意の方が上回っていたんです。

もちろん、気を抜いたらジャージャー雨の大粒涙が流れるかもしれませんが(笑)、
私達に、泣いている時間はない。嘆いている場合ではない。

だって、私達が弱気になったら、母をサポートできないもの。




ここまで私をガードしてくれているものは、何か?

宗教でもない、魔法のお薬でもない、

自ら体験した「冷えとり」の存在です。


この精神力を築き上げてくれたのは、お腹の中の病巣たちなのかもしれません。

自分の病気が分かったあの時から、
どうも既に、レールが敷かれていたような気がしてならないんですよね。^^;

じゃないと、
とっくに崩れてる。



確かにまだ、未来は恐い、。

来年、母はどこに居るだろうか?・・・

毎日怯えています。

でも、不思議な力が動き始めているのも確かなんです。



私の引っ越しが遅れた事、
連休前に救急で診てもらえた事、
黄疸が出た当日、すぐに減黄処置をしてもらえた事、
西洋医学とは別の考え方を、オタッキー娘が持っていた事(笑)、

そして、「冷えとり」をちょうどしっかり始めた頃から、
母の体調に変化が表れた事。


これは不思議で、
冷えとり靴下を寝る間だけ二足履きしてきた母が、
体調が悪いというので、

「一度、騙されたと思ってしっかり半身浴してみたら?」なんて
勧めてみたのがきっかけでした。

これまで烏の行水だった母が、
20~30分程、半身浴をするようになり、

その頃から(約2週間でしょうか)、
食欲が減り、食事の好みが変わり始め(好きだったパンが食べにくくなってきました)、
体重が急激に落ち始めたんです。



検査の腫瘍マーカーは正常値。
転移も今のところなし。
なのに末期?(もちろん、膵臓の数値は出にくく、マーカー自体は指標でしかないのは理解していますが。)



冷えとりを始めると、
奥にあった病気が見付かる、というのをよく聞きますし、

母の身体も、めんげんによって不調を知らせてくれた!としか思えないのです。



だからね、きっと母は大丈夫。

右足の親指の爪の変色は、
消化器(膵臓)からの毒出しです。

これは随分前から出始めていたんです。

たったの二足履きでも、
体は、毒出しを始めてくれていた。

食欲が減ったのも、体重が激減したのも、
毒出しが始まっていた証拠だと思っています。


本来の体の力を、神秘を、私は信じます。




“信じる力”が如何に凄いかを、
今日、心友が教えてくれました。

細胞全てを司る、“信念”。

私はこのはかり知れない力を、必ず味方につけたいと思います!



2014年5月18日日曜日

入院中も足湯で冷えとり!

「足湯器を持ち込みたいんです。」

主治医の「???」マークいっぱいのお顔。。^^;(そらそうよね、笑)



病室に足湯器を持ち込みされた方のお話を知っていたので、
そちらを参考にお願いしました。

・付き添いが居る時間のみ足湯器を使用させて欲しい
・準備~排水までは、全て付き添いがするので、
看護師さんにご迷惑はお掛けしません。
・音も出ません、周りも汚しません。(電源はお借りします^^;)


どう思われたっていい、
どんなに噂されたっていい、

とにかく、許可が下りてガッツポーズ!


翌日から早速持ち込みまして、
まずは2時間を目標に、母にとって初の冷え取り君♪


【高陽社】足湯器 冷え取り君 マイコンプレミアム FB-C80



座り続けているのもしんどいため、
初日は無理をせず、様子を見ながら・・・。

それでも2時間半は浸かってくれたでしょうか、
(準備から排水は、病棟の廊下をコソコソ行ったり来たり。。^^;)

靴下も10枚に。

今回の入院で初めて、母に靴下を履かせました。
母が祖母を看病していた時の様子が蘇り、
あぁ、こうして回っていくんだな、なんて、妙に冷静に納得したりして。。

幸い、私の勧める事にすんなり従ってくれたので、
思っていたよりスムーズに、入院中の冷え取り開始♪


初足湯のお湯は凄かった!!
30分もしないうちにみるみる垢が浮き始め、
かなり濁りました。

入院後一度もお風呂に入れていなかったのもあるでしょうけど、
私は、“毒出しできてる!”と嬉しかったし、
母にも少しオーバーに喜んで見せたっけ。






自宅に戻ると、
当たり前ですが母は居なくて。

食事も、テレビも、母が居ない事がこんなに寂しいなんて。。

きっと同じ事を感じた父と、何となくですが通じ合った気がして、
お互い、寂しさを敢えて言葉にはしなかった。

食事もスムーズに喉を通らない、。


さみしい、さみしい、さみしい、。




隣で母が寝ていた数日前までが嘘のよう。



というか、夢なの?

ほんとにそんな感じ。




一番恐れていた事。

でも、どうしてこんな事になってしまったんだろう、って
思っちゃいけないんだ、って。

この瞬間にも意味があるんだ、って。

嘆いている余裕はない。

今出来る事を、全力でやり抜くんだ!と

改めて決意した夜。




2014年5月16日金曜日

入院中も冷えとり!

入院3日目の夕食から、少しずつ食事を摂る事に♪
(主治医への誤解が解けて、痛みがないならいいよ、と許可が下りました。笑)

母も嬉しそう。


口からものを食べられるのが、どれほど有難い事か、。

ずっと欲しがっていた100%ジュースも出たそうで♪




さて、
冷えとりオタクの娘は何をし始めたか?と言いますと、

出来る事は限られているのですが、。


まずは、冷えとり靴下ね♪

もちろん、841さんの冷えとり靴下です。^^






これまで、母も少しは靴下を履いてきましたから、
今さら説明は不要。

6枚履いてもらいました。



お次は、
主治医に、「冷え取り君」持ち込みの許可を頂きに。






冷えとり作戦準備!

検査当日の夕方から入院し、
絶食開始。
点滴のみ。

母にとって、これが何より精神的に堪えたようで、
弱っていく母をベッドに残し 帰る辛さといったら、、。



それでも減黄処置後は順調で、
黄疸のビリルビン値が9→5に減ってからは、
顔や体の色も肌色に近づき、尿の色も正常に。

少しずつ食べられるかもね、なんて主治医に言われていたもんだから
気持ちも少しUPしかけていたのに、
どこから食い違ったのか、
母に“痛みがある”と思いこんでいた主治医は、
「当分ご飯は無理かな」と再度母に伝えたようで。

その言葉で再び気力を失った母は、
私達がベッドに顔を近付けるなり

「もうあかん、、」と訴えました。

「来んかったらよかった、、」と。まるで子供のように。



力無い声に、恐怖が襲いましたね、

本当に消えてしまいそうで、本当に恐ろしかった、。

どうすれば、、 どうすれば、、 と。



え?どうすれば・・・?

いやいや!迷っている時間はなーーーい!!!



私は冷えとりCharm!(いや、だから、誰やねん。笑)

いつやるの?


今でしょ!!(旬を過ぎてもおかまいなし!)フンガー!!!p(`¨´)q



入院中だって冷えとりするのだ!!!





2014年5月12日月曜日

膵臓癌発覚。黄疸で入院。

2014年4月28日、母入院。


重い身体をなんとか起こして検査に来ると、
検査前にも関わらず、医師から、
「今日このまま入院してもらうかも。」と言われました。

既に黄疸が出ていたのです。
前日までそうではなかったので、入院当日から、だったのかもしれません。

そして入院を決定付けた最大の症状は、
『白い便が出た』という事。



黄疸が出て、白い便が出るということは、
胆汁が何かしらの原因により流れなくなっている証拠なんだそうです。
(本来は胆汁の黄色が、あの便の色になるんですって。勉強になったわぁ。。)

母の場合は、
肝臓で作られた胆汁(消化液)が、
胆管で詰まり、十二指腸へうまく流れていない事が原因でした。


どうして胆管で詰まっているのか?




膵癌です。



膵癌による腫瘍が胆管を圧迫しているから。


腫瘍の場所は膵臓頭部。
病理検査結果とCT等の消化器内科専門医の診断結果は、
・クラスⅣ(Ⅴで癌と確定)
・ステージⅣ


母の症状は、
・吐き気(嘔吐はありません)
・背中やみぞおち辺りの不快感
・その不快感による睡眠不足
・食欲はあるがすぐに満腹になって量が食べられない
・そのため体重も激減

体重は2週間程で急激に5kg以上落ちました。
入院当日は本当にフラフラ、。






胆汁値を示すビリルビンの数値は、
正常値が1であるのに対して、母は9。
白い便と、茶褐色の尿が出るように。

これまでポツポツと貰っていた、
胃の不快感をやわらげるお薬の副作用にも、黄疸の表記がありましたが、
主治医曰く、副作用で出る数値レベルではない、との事。



ショックを受ける私達に、
容赦なく検査のフルコースが容易され、

母は、初めてのERCP(内視鏡的逆行性胆管膵管造形)を受ける事になりました。

細くなっている胆管に、「ステント(胆管の中に通して開く処置)」を入れてもらい
翌日には、ビリルビン値は9から5へ。
その後順調に下がり、今ではほぼ正常値に戻りました。





“黄疸が出る”というと、
私のような素人は、まず「末期」を想像します。

自分の心臓が行方不明になった瞬間。

末期の膵癌。
手術は不可能。
余命は・・・抗癌剤治療をして8ヶ月。しなければ・・・それ以下。



もうこのまま家には帰ってこられないんじゃないかと、
強烈に不快な胸騒ぎがして、とても恐ろしかった28日。

忘れない、きっとこの先も。
あの日眺めた病室からの外の景色も、
初めて見た母の車椅子姿も、点滴を繋ぎ横たわる姿も。




これから始まる、
私達家族の、覚悟の闘病。

命と向き合う。

命から絶対逃げない、

必ず助けてみせる。



魔法なんかじゃない、
奇跡なんかじゃない、
「これが本当の体の力。」
それを証明してみせる。


本当の冷えとり法、始めます。




2014年5月9日金曜日

母の末期癌闘病ブログを始めます。

「Charmのサイコロ」からお越しくださった方へ、
御心配をお掛けして本当に申し訳ありません、。


やはり、書かずにはいられないのです。


今もどこかで、同じ病と闘っておられる方がいらっしゃる限り、
私は母の頑張りをここへ記していきたいのです。



「命」と向き合った事は、これまで何度かありますが、
今回が一番苦しく、一人で居ると不安と恐怖で押し潰されそうになります。

ですがそれ以上に、
私達家族には、“必ず助ける”という決意と覚悟があります。



「冷えとり」を、身をもって体験しているから。
必ず、自分の身体も、母も、守ってみせます。^^




希望!希望!!希望!!!