2015年5月15日金曜日

「泣いてもいいが、心配してはいけない。」看病する家族が守るべき事

まだ、母の不快は続いています。

この前はスーパーの買い物もしんどくてパス、。

食欲はなく、口数も少なめです。



もちろん、
今まで何度あったか分かりませんが、
本当は毎回、吐きそうなくらい心配!



でもね、
“心配”は心配を現実にしてしまうから。
(特に今、あちらを特訓中の私は。笑)



一人になったら泣いてもいい。
涙は時に想いを浄化してくれるし、
これも心の冷えとりですもんね、^^


でも、心配して落ち込んではいけません。
その不安は、とても危険。


だって、もしかしたらこれまでの私の不安が
母の病気を招いてしまったのかもしれないもの。
(うーん、すっかり あちらの考え方になったなぁ。^^;)

震災に遭ってからは特に、
儚いものに敏感で、どこかいつも怯えて過ごしていました。

いつか失うんじゃないか、って、
大事な人の誰かが大病を患うんじゃないか、って。

だから、
正直、今回 母の事を聞いた時も
驚きよりも “やっぱりか、、ついに来てしまったか、、”って、
思ったんですよね、。




これからは、
絶対にそんな無駄な心配はしないと決めているんです。

もちろん容易ではありません。

不安を掻き消すのにはとてもエネルギーが要りますし、
頭の中がどうにかなってしまいそうになります。



それでも。

信じなくちゃ。



私達に出来る事は、

「母は真の健康を手に入れる!」と信じて、イメージして、

愛をもって接する事だけです。





痩せた母の肩の骨はより痛々しく、
強く抱きしめる事もできなくなってしまったけれど、
愛を、言霊を、
全てのエネルギーを使って送り込みます。

母に触れている時は、
絶対に負のオーラを与えないよう、
声のボリュームも無駄に元気良く上げて(笑)、
いつも通り過ごします。

「大丈夫、?」

「しんどそうやね、、」

なんて、心配そうに覗き込んじゃダメ。



「顔色はいいやん♪」

「便は出た? 体温もいいね♪」

「この前買った乳液どうやった?」←女子トーク。笑


そしたら普通に返事をしてくれるし、
なんだかんだで、私と一緒にいると元気だと
父が言っていました。


ですから、
朝に見た顔と、帰り際の夕方に見る顔では全く違います。^^




今回の不快感も、
必死に「めんげん」だと洗脳させて(笑)います。


腹部のグリングリンもなくなったし、
今は肺辺りのキーン・・・も感じないとか。

ほら、めんげんは着実に動いて流れ出てる。
永遠に同じめんげんが出続ける事はないと聞いています。

今の不快感もきっと排毒です。


「日に日に、めんげんは薄く、浅くなっていくからね」
そう、ゆっくり静かに話しかけると、

「うん。日に日に良くなっていくと思って。」と
本人も言い聞かせていました。





今日は通しで5〜6時間、指圧やらマッサージをしていたので、
さすがに両手親指の向きがおかしくなりそうです。^^;笑

それでも、触れられる事が幸せ。

触れていると落ち着きます。

良いイメージを描きながら、
じっくり温めてきました。




明日も信じて。
来月も信じて。
来年も信じて。





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